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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和48年(ワ)33号 判決 1974年7月15日

原告

岩村節子

被告

市川進

ほか一名

主文

被告らは原告に対し各自金四五五万二九三八円とこれに対する昭和四七年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し各自金八三一万九九三九円とこれに対する昭和四七年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

三  請求の原因

1  訴外松尾有昭は昭和四七年九月六日午後三時一〇分ころ成田市土屋町一四〇一番地先において被告市川進運転の後退中の自動車(富一一そ二二三号、以下事故車という)に轢過され、その場で死亡した。

2(一)  被告市川は後方の安全を確認しないで事故車を後退させたので過失があり、民法七〇九条の不法行為責任がある。

(二)  被告澤島建設株式会社は事故車を所有し、被告市川を雇用して土地造成工事に従事させていたので、自賠法三条の運行供用者責任がある。

3  原告は同年八月一七日亡有昭と結婚式をあげ、千葉市桜木町二四八番地に新居を設け、同人の稼働収入で生活していた。原告と亡有昭は実質的に夫婦であつたが、その婚姻届をしないうちに事故にあつたので、内縁関係にとどまつた。

4  原告は次の損害を受けた。

(一)  慰藉料 三〇〇万円

原告は亡有昭と結婚式をあげ、人生のスタートを千葉市に求め、相思相愛の新生活を始めたとき、突然の事故により人生の支柱であつた同人を奪い去られた。その精神的苦痛は筆舌に尽し難い。

(二)  逸失利益の相続若しくは扶養権の侵害 六九二万〇一〇〇円

亡有昭は昭和二二年二月八日生まれの青年で、平均月収一一万円を得ていたから、その逸失利益はホフマン方式によると、一一万円カケル〇・五(生活費)カケル一二カケル二〇・九七(ホフマン係数)で一三八四万〇二〇〇円となる。

同人には父訴外松尾甚作、母訴外松尾君子があるので、原告が妻としての相続権を有するとすれば、その二分の一の六九二万〇一〇〇円の権利を承継することができる。仮に原告に相続権がないとすれば、原告はその逸失利益の限度において扶養請求権の侵害を受けた。

(三)  弁護士費用 七〇万円

原告は生活困窮のため本件を法律扶助協会に依頼し、弁護士田中一誠に本件訴訟追行を委任したが、勝訴したときには同扶助協会を介して同弁護士に成功額の一割以上の成功報酬を支払う義務がある。そのうち七〇万円を請求する。

(四)  填補 二三〇万〇一六一円

原告は自賠責保険からこれを受領した。

(五)  (一)ないし(三)の損害額から(四)の填補額を差引くとその残額は八三一万九九三九円となる。

5  そこで、原告は被告ら各自に対し損害金八三一万九九三九円とこれに対する事故の日の翌日の昭和四七年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  請求の原因に対する答弁

1の事実は認める。2の(一)の事実は争い。(二)のうち被告会社が事故車を所有し、被告市川を雇用して土地造成工事に従事させていた事実は認めるが、その余の事実は争う。3の事実は認める。4の(一)ないし(三)の事実は争い。(四)の事実は認める。

五  被告らの主張

1  亡有昭には父母があるのだから、原告の慰謝料は一五〇万円が相当である。そして、原告は亡有昭の内縁の妻であつたから、逸失利益の相続権を有しない。また、原告は自己の資産または労務によつて生活をすることができないときにのみ扶養請求権を取得するというべきであるところ、原告はその主張の自賠責保険金を受領したので、要扶養状態になく、原告の請求は失当である。なお、原告はその自賠責保険金受給日の四年後以降労災保険から年額五三万三三三八円の遺族年金が支払われることになつている。更に、仮に原告が亡有昭の逸失利益について請求権を有するとすれば、その就労可能年数が長期(三八年)であるので、中間利息の控除についてライプニツツ方式(係数一六・八六七八)を採用すべきである。

2  亡有昭は被告会社の代表者澤島弘の妻の弟であり、本件事故現場(成田埋立工事現場)の責任者であつて、安全管理者として派遣されていたのであるから、本件のような事故を未然に防止すべき職責にあつたのであり、亡有昭には過失があつた。

六  被告らの主張に対する答弁

2のうち亡有昭が被告会社の代表者の妻の弟であつた事実は認めるが、その余の事実は争う。亡有昭には事故を回避し、その危険を防止すべき具体的注意義務の違反はなかつた。

七  証拠〔略〕

理由

一  訴外松尾有昭が昭和四七年九月六日午後三時一〇分ころ成田市土屋町一四〇一番地先において被告市川進運転の後退中の自動車に轢過され、その場で死亡した事実は当事者間に争いがない。

二  被告澤島建設株式会社が事故車を所有し、被告市川を雇用して土地造成工事に従事させていた事実は当事者間に争いがないので、被告会社は自賠法三条の運行供用者責任を負う。

被告市川が事故車を後退させながら亡有昭を轢過した事実、亡有昭が被告会社の代表者澤島弘の妻の弟であつた事実は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると次の事実を認めることができる。すなわち、事故現場は県道沖大株線に面した水田埋立工事現場の中である。被告会社はその宅地造成工事を請負い、亡有昭が現場責任者として、被告市川、訴外大野典男、同松田英男、同柿本幸人の四名がダンプカーの運転手として、訴外設楽進がブルトーザーの運転手としてその造成工事に従事していた。被告市川らはダンプカーで近くの成田市久住から山砂を搬入し、工事現場でダンプカーを後退させながら埋立場所に接近させ、その付近で山砂を下ろしていた。事故当時訴外大野がダンプカーに山砂を満載して現場に到着し、続いて被告市川が同じように到着した。亡有昭は訴外大野が車のシートをたたむのを手伝い、続いて被告市川の車のシートをはがすのを手伝つていたが、そのとき訴外大野が埋立場所に向けて車を後退させたところその左右の後輪が砂の中に沈んで動けなくなつた。これを見た亡有昭は県道付近からワイヤーロープを持出して訴外大野の車の右前輪の横に近付き、約二メートル離れた地点でその車の後方を見分していた。訴外設楽はブルトーザーを運転して訴外大野の車のすぐ後方に接近し、エンジンをかけたままにしていたので、その音のため亡有昭から話掛けられた言葉を聞き取れないような状態であつた。被告市川は亡有昭がワイヤーロープを引きずつて訴外大野の車の方に歩いて行くのを見ていたが、ダンプカーの右側から後方を確認し、車輪が砂の中に沈まないようにエンジンをふかし、勢いをつけながら、訴外大野のダンプカーの右横の方に向け、時速一〇キロメートルで車を後退させた。被告市川はバツクブザーを鳴らしながら後進し、時折左側のバツクミラーを見たりしたが、亡有昭の動静を確認しないで約二〇メートルをほぼ直線状に後進し、その右後部を同人の背後に衝突させて同人をうつ伏せに転倒させたうえ、その左後輪と左前輪で同人を轢過した。

右の事実によると被告市川は亡有昭が砂の中に沈んだ訴外大野のダンプカーの方に向つて歩いて行くのを見ていたのであるから、事故車を後進させるにあたつては亡有昭の動静を注視し、後方の安全を確認して進行すべき注意義務があつたのに、この義務を尽さなかつたといえるので、被告市川には過失があつたとみることができる。したがつて、被告市川は民法七〇九条の不法行為責任を負う。

また、右の事実によると亡有昭は工事現場の責任者として稼働していたのであるから、ダンプカーの誘導などにもあたつていたものと推認することができるところ、被告市川のダンプカーが埋立場所に向つて後進し始めるような状態にあつたのであるから、その運行に指示を与えるか、またはその動静に注意を払いながら訴外大野のダンプカーの救出作業にあたるべきであつたといえるのに、後進中の事故車に背を向けたまま立つていてその動静に注意を払わなかつたのであるから、亡有昭にも過失があつたとみるのが相当である。そして、同人の過失の程度は被告市川の過失と比べて二割とみるのが相当である。

三  原告が昭和四七年八月一七日亡有昭と結婚式をあげて千葉市桜木町二四八番地に新居を設け、同人の稼働収入で生活していた事実と原告が亡有昭との婚姻届をまだしていなかつた事実は当事者間に争いがない。その事実によると原告と亡有昭は内縁関係にあつたものとみることができる。

四  〔証拠略〕によると次の事実を認めることができる。すなわち、原告と亡有昭は昭和四七年四月三日見合いをし、同年六月一〇日結納を交して同年八月一七日富山県小矢部市埴生の亡有昭の生家で結婚式をあげ、石川県の山代温泉に新婚旅行をして、同月二一日千葉市の新居に落着いた。その新居は澤島弘が結婚祝として建ててくれたものであつた。原告らの親居と被告会社は同じ地番に所在していたので、原告は澤島方の炊事洗濯などを手伝つていた。亡有昭は被告会社で現場監督をしていたが、将来寿司屋を開きたいと考えていた。亡有昭の葬儀は同年九月九日小矢部市埴生の松尾方で執り行われたが、原告が「松尾節子」の氏名で喪主として行つた。原告は千葉市の居宅で四九日間を過ごしたのち殖生の松尾方で亡有昭の四九日忌をすませ、そののち小矢部市西中の岩村方の生家で暮したが、同年一二月三〇日千葉市の居宅から荷物を搬出し、生家に転居した。原告はその四九日忌のころから亡有昭の両親と不和となり、生家にも住み難くなつて、昭和四八年三月から母の姉を頼つて大阪市の妙法寺に身を寄せている。

右の事実によると原告は亡有昭と結婚式をあげて千葉市の新居で結婚生活を始めたばかりのときに同人を失い、その後不遇のうちに暮しているのであつて、同人の死亡によつて受けた精神的苦痛は大きかつたとみるのが相当であり、原告は民法七一一条の類推適用によつてその慰謝料請求権を有するとみるのが相当であるから、亡有昭の過失その他の事情を考慮し、その慰藉料として二〇〇万円を賠償させるのが相当である。

五  〔証拠略〕によると亡有昭は昭和二二年二月八日生まれの男子で、事故当時月額一一万円を下らない給与を得ていた事実を認めることができる。

ところで、亡有昭に父訴外松尾甚作と母訴外松尾君子があることは当者間に争いがないから、亡有昭に生じた逸失利益についではその両親が相続権を有するといえるので、原告にその賠償請求権を認めるべきかどうかは問題である。まず、原告は内縁の妻であつたから、亡有昭の相続人にあたるとみるのは相当でない。しかし、原告は内縁の妻であつて、前記三と四で認定した事実に照らしてみても、亡有昭の収入によつて生計を維持することができた筈の者であつたとみるのが相当であり、同人の死亡によつてその利益を失つたといえるので、いわゆる扶養の喪失による損害の賠償請求権を取得したとみるのが相当である。被告はこの点について原告は要扶養状態にないからその賠償請求権を取得しえないと主張するが、その賠償請求権は民法七〇九条にいう「権利」を広く法律上保護されるべき利益と解することによつて生ずるものとみるのが相当であつて、これを狭く「扶養請求権」の侵害によつて生ずるものとみなければならないものではないのであるから、被告の主張するように原告が二三〇万円余の自賠責保険金を受領し、かつ、年額五三万三三三八円の遺族年金を受給することになつているとしても、そのことは賠償請求権の発生を妨げるものでないとみるのが相当である。

そこで、扶養の喪失による損害を算定するに、前記の事実によると亡有昭の得ていた収入のうち五割は原告らの扶養にあてられるべきものであつたとみるのが相当であり、また、亡有昭に父母があることから原告の扶養にあてられるべきものはその二分の一とみるのが相当である。そして、亡有昭は満六三歳に達するまであと三八年間前記の額を下らない収入を得たであろうと推認することができるので、年五分の中間利息をライプニツツ方式で控除してその事故時における現価を求めると、六六万円カケル一六・八六七八(係数)カケル〇・五の算式で、五五六万六三七四円となる。亡有昭の過失を考慮し、その八割にあたる四四五万三〇九九円を賠償させるのが相当である。

六  原告が自賠責保険から二三〇万〇一六一円を受領した事実は当事者間に争いがない。これを前記四と五の損害合計六四五万三〇九九円から控除するとその残額は四一五万二九三八円となる。

ところで、〔証拠略〕によると原告は労働者災害補償保険法により昭和五〇年一〇月から年額四〇万〇〇〇三円の遺族補償年金を受けることができることになつている事実を認めることができるが、同法二〇条に照らせば、原告がその年金給付請求権を取得しただけでは、これをもつて前記五の賠償請求権を減縮する事由にあたるとみるのは相当でない。

七  〔証拠略〕によると原告は財団法人法律扶助協会に法律扶助の申請をなし、昭和四八年二月二二日同協会の法律扶助審査委員会において法律扶助を与える旨の決定をした事実を認めることができ、原告が弁護士田中一誠に本件に関する訴訟行為を委任した事実は記録上明らかである。そこで、認容額、訴訟活動の程度などを考慮し、弁護士費用として四〇万円を賠償させるのが相当である。

八  そうすると、被告らは各自原告に対し損害金四五五万二九三八円とこれに対する事故の日の翌日の昭和四七年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告の請求のうちこの金員の支払を求める部分は理由があるが、原告のその余の請求は理由がない。そこで、その理由のある部分を認容し、理由のない部分を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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